8000系小史

■ 新造 1963〜 ■

製造初期は非冷房。非常ブレーキのハンドルが運転室にあったり、扇風機が天井についていたり(東武本線ではオフシーズンは取り外し、東上線ではカバー取り付け)、ドアの窓がHゴム固定だったりと、この時代の電車らしい電車だった。運転室仕切りの位置やドアも現在とは違うスタイルだったそうだ。
当時は種別幕のところには列車番号表示があった。方向幕ともども手回しだった。側面には先頭車にのみ行先サボ差しがあり、行先表示機はなかった。(登場時に行先表示機をつけていたのは6000系くらいだった)側面のランプも一段だったし、何より、この時代はまだ8000系の番号は切り抜き文字で表示されていた。
絵にあるとおり、前面の上部にはマーカーランプ(急行灯)が2つ設置されていた。天井には四角いベンチレーターを搭載して、パンタグラフも現在とは異なりひし形のものを搭載していた。よく忘れられることではあるが、当初は無線アンテナもなかった。

8年で8101F〜8155F(4両編成),8501F〜8562F(2両編成)までの334両が一気に製造された。製造を担当したのは下にある表からもわかるとおり、主にアルナ工機と日本車輛(69年まで)、富士重工(この時期は2両編成のみ)。東急車輛はマイナーチェンジ直前(1973)から汽車会社は1963年の2編成のみ製造に加わった。

初期の増備が落ち着いた後、1971年から2年にわたり8700、8800が新造されて、8101F〜8114Fが6両化された。なお、増備車輛中唯一富士重工で製造された8714,8814は、冷房新製造車8156Fと一緒に富士重工で製造されたためか冷房化準備の状態で(冷房化後の形態のパンタグラフと通風機をのせて)登場した。
■ 冷房車と冷房改造 1972〜1975 ■
次に登場するのが冷房新製車の8156F〜8172F(6両編成)。6両での運用が増えたことから4両編成はしばらく製造されなかった。8000系の冷房改造の最大の特徴は、103系冷房改造車のように冷房装置のダクトが客室内にむき出しになるのではなく、天井が平滑になるデザインとされたことだ。おかげで8000系はカタチはそこまでぼろい電車とバレない内装となった。(まだ化粧板色がベージュだったけど。)
既存の非冷房車についても冷房改造がこの年からはじまった(1983終了)。改造は津覇車両だけでは間に合わず、一部の編成はアルナ工機まで回送され、改造された。
ちなみに1975年に新製が止まっているがこれはオイルショックの影響と思われる。
■ マイナーチェンジとその後 1976〜1983 ■
1976年以降製造の8000系では、台車がFS396/096に変更・ドア内側がステンレス製に変更・床板の材質変更(少し厚くなってドアの溝が深くなる・防音性能向上)などのマイナーチェンジが行われた。しかし、基本的な設計は変わらなかった。
しかし、何より一番大きい変化といえば塗装の変化だろう。いわゆる手抜きのセイジクリーム一色となったのだ。
77〜80年は東上線用の8両編成の増備が主になる。調整の如く、新製された8両編成でない編成は8191F(4両編成),81110F(6両編成)のみだ。
最終期81〜83年は、再び2両編成の製造が始まるほか、4・6両編成もある程度まとまって製造された。これは10000系の製造や東上線10連化計画・末端線の旧型車置き換えなどをにらんだものと思われる。
■ 製造メーカについて ■
636465666768697071727374757677787980818283
4*4 4*1 4*6 4*3 4*5 2*1 
4*5 
4*5 2*4 
4*4 
(2)*2 (2)*11 
6*2 
2*1 
6*2 
2*1 
6*3 
- 2*2 
6*3 
8*3 8*1 8*3 8*1 4*2 2*2 
6*3 
4*1 
--2*22*42*42*42*4--(2)*1
6*1
6*22*2-6*28*18*28*18*14*12*2
4*1
2*1
4*1
6*1
4*62*1
4*2
2*182*2
4*3
2*8
4*3
2*3
4*3
2*7
4*3
--------------
----------6*22*2-6*28*14*1
8*1
8*16*12*62*12*1
4*1
8*1
4*2--------------------
※x*yだと、x両編成がy本製造の意味。(2)は、増結用8700,8800系(中間車)
東武鉄道とアルナ工機(1971ナニワ工機から改名・現在のアルナ車輛の前身)は尼崎のメーカーでありながら、オーナーの出資関係からか、東武車両を大量に製造していた。現在は経営再建を経て大型鉄道車両の生産は行っていない。(路面電車のリトルダンサーシリーズのみ製造)
富士重工は宇都宮工場(鶴田)での製造。こちらも現在は鉄道車両の製造はしていない。(富士重工はバス車体製造からも撤退している。)
日本車輛は東京支社(蕨工場)で製造していたが、東京支社の閉鎖以降は8000系の製造はなくなった。
東急車輛は金沢文庫の横浜製作所で製造していた。
汽車会社(現在の川崎重工鉄道車両部門の前身)は当時の業績悪化からか受注はごく少数となっている。(その後、倒産、川崎重工に買収)
■ リニューアル開始と改良工事 1986〜 ■

最終期の8104F(廃車済)
登場から24年たった1986年にはリニューアルがはじまる。いわゆる初期更新車だ。
同時に塗装デザインの変更も行われた。ようやく現在のスタイルとなった。
デザイン上の大きな変更点は、化粧板色をベージュからアイボリーの明るい色に、座席も茶色から緑へ、床を緑からベージュに変更等で、当時の最新系列10000系に似た室内設備となった。正面はあまり変更がないようにも見えるかもしれないが、運転席窓下の通風口は撤去され、補助席側の窓にも手動ワイパーが設置されるなどの違いがある。東上線の8000系初期更新車は当初より前面貫通扉のサボ受けを撤去、野田線の8104Fも8000系40周年記念ステッカー(2003)貼り付けに伴い撤去した。

忘れてはならないのがマーカーランプの取り外しだ。いつから取り外しだしたのかは不明だが、リニューアル編成は台座から存在しないのは確かなのと、取り外して走行している写真がアイボリーのものでは見たことがないので1986年以降だと推測される。(10000系がマーカーランプなしなので、実は1983年から取り外ししている可能性もある) 未更新車もすぐに取り外し工事を受けたようで、取り付け位置には台座だけが残った。取り外しの一つの理由として、取り付け部分の腐食が挙げられている。
側面の行先表示機の設置もこのときだ。同時期に製造された6050系のようなアルミフレームのものにはならなかったが、そのおかげでかなり違和感のない仕上がりとなっている。少し文句を言えば、表示窓まわりに枠のようなものをつけづに、平らに仕上げてほしかったのだが、表示枠窓の固定方法などから難しかったのだろう。ちなみに車輛番号も塗色変更に伴い、古風な切り抜き文字から車体裾へのペイントに変更となった。1986年時点では側面の番号横の東武マークはまだ存在せず、前面には番号はかかれていなかったが、はやくも翌87年には塗装された。

なお、いまやおなじみの緑色の座席への交換(登場時の座席色は茶色)や車内の貫通扉増設も、未更新車を含めてこのころからはじまったそうだ(改良工事)。改良工事で増設された貫通扉は、製造時からあるものとは異なりステンレス製になっている。(製造当初より扉がすべてステンレスのものを除く)
  
翌年の1987年からは前面を付け替えて流行のブラックフェーススタイルとなった。この改造、前面を一度切り取って、アンパンマンもびっくりの新しい顔を取り付けるという、鋼製車だからこそなしえたビフォーアフターである。一段降下窓ではないものの、もともと戸袋がない構造が幸いし、塗色変更も相まってかなり現代的なよそおいになった。冷房装置の貧弱さを除いては・・・。
もともと、東武鉄道では制御機器を存置し車体を更新する事例が多かった。戦前型吊り掛け電車デハ5、デハ10(3000系)、戦後型吊り掛け電車7800系(5000系)快速電車6000系(6050系)までは更新ではなく車体新造だったが、8000系では車体は存置された。いかんせん両数が多すぎたということもあっただろうし、また、「コストをかけずにあたかも新車」を東武が狙った可能性はある。この改造は大成功で、お隣東洋高速鉄道1000系(営団5000系の改造)とは異なりあまりまがいもの感は出ていない。ちなみに、2000系改造の2080系が野田線に登場したのもこの年だったが、MT比が変更になり加速度や制御機器への負荷が変わったためか、機器故障が多発して2年足らずでお役御免になったのはまた別のお話。もし、8000系もMT比変更がなされていたら、世紀をまたいで活躍していなかったかもしれない。その後、現在まで、東武鉄道において更新時に走り装置に手が加えられることはない。
この改造がJR西日本のN40更新などをはじめとした他社のリニューアルの祖となったといわれている。

この中期更新車は、更新年度によってかなり細かい違いがある。1988年から乗務員室仕切りが少し客室側に移動し、運転台後方の窓がなくなった。翌年には座席の台(蹴り込み)の形状が変更になる。1990年からは蛍光灯の本数が一列8本から12本に増える。1995年からは強制上昇装置が取り付けられる。1996年からは客室通風機(ベンチレーター)が撤去されるようになった。
特に、蛍光灯増設の効果は大きく、それだけでかなり客室内が明るくなって新車らしくなった。
■ 運転台撤去改造 1992?〜 ■
10030系列の新造で、8000系は次第に支線へ押し出されていった。野田線に配置される8000系はほぼ6両固定編成の状態で運用されるため、4両と2両から新たに6両編成をつくることになった。
1990年代前半、1992年あたりからこの工事は行われた。具体的には、番号の下二桁が同じ編成を用意して、8500・8600の運転台を撤去して、新たに座席を新設し(ここら辺のこだわりが当時までの東武クオリティ。確か3000系でも運転台撤去改造はしていたはず)8700・8800のユニットを作るものだった。これはおそらく2両編成のリニューアルと時を同じくして行われたものと考えられる。とゆうのも、8500-8600のユニットと8700-8800のユニットは、ユニットの連結順番が逆なので、ユニット間の配線はことごとく引きかえなければならないからだ(リニューアルのメニューには配管総引替も含まれている)。何はともあれ、この結果1996年までに6両編成10本が生まれた。
なお、これらの編成のうち、廃車された8115Fと現存する8118Fは窓が非ユニットだったため、改造を受けた部分の窓だけユニットとなった。(写真)
写真で撮影できるほどのものではないが、実は、運転台撤去部分は台枠が切り欠いてある(そこだけ車体の下のわずかな出っ張りがなくなっている)のがわかるのだが、さすがに写真に撮れるほどのものではない。これは目視確認してほしい。
■ リニューアルAと未更新車方向幕改造(簡易更新) ■
 
30000系が登場した1997年より更新内容がまた変更となる。主な変更点はライトケースのデザイン変更とヘッドランプのHID(高輝度放電灯)への変更、ワイパー大型化、行先表示装置のLED化と車いすスペースの新設。さらに現代的な装いとなる。

それに対応し、1990年後半(おそらく後期更新車が登場した1997年以降)には未更新車全編成の行先表示をLEDに変更する簡易改造が行われた。このとき、種別表示幕の大きさが一回り大きくなったこともあり、未更新車もだいぶ見た目の印象が変わった。野田線では未更新時代の81110Fが運用に入っており、ベージュ色の内装や一灯だけの開扉表示灯、方向幕なしの側面で異彩を放っていた。

白いHIDヘッドライトが特徴の後期更新車8172F
■ 運転機器撤去改造 2004〜 ■

8131-8501F(運転台撤去) 当初は連結面を出していたが、のちに幌が設置された。
2004年から、野田線の4+2両編成から8000系ワンマン運転用の運転台新設改造車で必要な部品を取り外す改造(もしくは、そういった名目での改造工事)が行われた。
運転機器をはじめ、行先表示機・ワイパー・ジャンパ栓受け・スカートなどが取り外された。(写真)
この改造工事で新たに6両編成7本が生まれた。残りは4+2編成で存置されていたが、運転台が存置されている編成でも転落防止幌が設置されたため、ただ単に部品取りのための改造だった可能性は非常に高い。
かつては編成番号を揃えて運転台撤去改造を行っていた東武鉄道ではあったが、もはや2000年代に入ると、8000系の編成ごとにばらつきが生じたのか、番号を揃えるようなことはなくなり、改造も本当に運転機器を撤去しただけの簡易なスタイルとなった。
撤去する必要がない理由としては、連結位置が階段付近などに干渉せず、また、大規模改修するほど8000系を使用する計画はないということが考えられる。
■ ワンマン改造 200?〜 ■

主に50000系列の登場と半蔵門線直通列車の増発に対応して、経年が30年以下の若い車両を中心に、2000年代はじめからワンマン改造が行われた。
ワンマン運転といっても、東武の場合は先頭車両の前のドアだけ開いてバスみたいな料金収集をする形態ではなく、ただ単に車掌業務まで運転士が行うものなので、戸閉め装置のほか、運転台から車内が見えるミラーの設置や貫通扉へのワイパー増設・車外スピーカーの設置などが行われた。
末端支線・末端ローカル用の2両編成と4両編成が登場している。4両編成は、既存の更新車を改造したものと、東上線の8両編成を分割したものが存在する。宇都宮線用の編成は寒冷地対策としてヘッドランプ内のデフロスタ新設などがされている。
同時に本線向けにスーパー更新車が登場した。こちらは81110F・81113F・81114Fの3編成。更新後もしばらく本線に残っていたが、81113F・81114Fはともに8104F・8143-8509Fの代替で野田線に転属し、81110Fもその後転属した。
また、8両編成を分割して3両の新形式800・850系が5本ずつ合計10編成生まれた。このうち850系は東武では珍しい前パン車(先頭車の先頭にパンタグラフを搭載した車輛のこと)となった。これらのワンマン改造工事を最後に8000系の更新は終了した。

スーパー更新車の外見的特徴は車外スピーカーの設置。
自動案内放送に車内LED案内表示、内装色が改良されスタンションポールも設置。
それまでの更新車とは一線を画する。
■ 廃車開始 2007〜 ■
一時期は712両をほこった東武8000系の最初の廃車は、800系・850系への改造で余ったサハ8900計10両だった。余剰廃車の次に、最後まで更新されずに残っていた未更新車2両編成3本が、車両故障で自走不能になっった8134=8523Fとともに北渡良瀬荷扱所(解体場所)に廃車回送された。それを皮切りに本線や東上線で、余剰となって検査期限が切れた古い編成から基本的に廃車が進んでいる。
とくに、2010年以降は東上線で50000系列の大量導入に伴い、大量に廃車が発生した。
その影響で、オリジナル車の消滅もあり、とくに初期顔車とも呼ばれる初期更新車は貴重な存在となっていた。(東上線の8111F,8112Fは2012年まで残存して話題になった。野田線の8104F,8509Fはともに廃車になった。)。現在では、唯一8111Fのみが東武博物館に所有権を移して、休日の臨時電車として走行している。
東上線での大量廃車に続いて、本線系統でも大量廃車が発生した。これは、急行運用の増大と相互直通乗り入れにより本線専用形式の運用が減少したことが大きい。そして、東上線よりも早く、ワンマン専用車両を除いて2012年に8000系は引退した。
この間、野田線の8000系は、検査切れ等で調子がよくない編成から順番に、本線・東上線で余剰になった編成で比較的新しい編成と交代されていった。(8162F等)
2013年に入り、10000系列60000系が野田線に登場した。2013年時点ではまだ両者あわせて6編成だが、野田線の編成数約43本を置き換えるには、いまのペースでも10年あれば十分となる。
2013年に、初期の編成は耐用年数の50年を迎える。本線に輝かしく登場した新性能電車の8000系は野田線に終結し、いよいよ終焉を迎えつつある。しかし、野田線を8000系が独占した8年間(2004〜2012)は、野田線=青というイメージを定着させるには十分だった。

船橋駅を発車する8106F。8000系で一番古い編成。
※参考資料:私鉄電車ビジュアルガイド 東武鉄道 東武鉄道,東武電車研究会,株式会社中央書院,(2003)
※参考資料:復刻版私鉄の車両24 東武鉄道,飯島巌・卓はじめ・諸河久,株式会社ネコ・パブリッシング,(2002)
※参考:カラーブックス日本の私鉄10 東武,花上嘉成・諸河久,保育社,(1991)
なお、更新開始年度などは、一部は収集データより推測したものもあります。
れこめんでーしょん。
8000系写真
はじめはただのデジカメでしたが、最近はNikon FEで撮影してます。

細部の違いですがこちらは項目が増えてきたので車体・客室・乗務員室・床下にページを分けました。
経年や更新による差異については只今分析中です。
車体編 室内編
乗務員室編 床下編
当サイト名物の「何かいっぱい書いてあってすごそうな編成表」もございます
野田線編成表


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